江戸時代から寺社仏閣や料亭、旅館で使われる漆器を手がけ、いまでは国宝や重要文化財の修復も担う輪島塗の老舗、田谷漆器店。代表の田谷昂大さんに初めてお会いして以来、さまざまなお話を伺ってきましたが、そのたびに「田谷さんはどのような考え方で仕事に取り組んでいるのだろうか」と振り返ることがよくありました。今回は、その思いや考え方にさらに深く迫りたいと、「田谷漆器店のヒト・モノ・コト」というテーマに沿って詳しくお話をお聞きしました。

聞き手:Musubi Lab 代表取締役 房田基嗣

輪島の海を背にした田谷家の三代
写真左から 田谷昭宏(田谷漆器店 現社長)/田谷昂大/田谷勤(田谷漆器店 現会長)

田谷漆器店のヒト

現在、日本各地では、「職人の後継者不足」が深刻な問題となっています。たとえ新しく人が入ってきても、すぐに辞めてしまうことが多い。そういった人材の定着の難しさは、どの産地も共通して抱えている課題です。一方で、田谷さんのところでは多くの職人さんが長く働かれていて、それはとても驚くべきことだと思います。なぜそんな風に人材が定着しているのでしょうか?

僕が聞いてみたところ、皆が口を揃えて言っていたのは、「ずっと続けてきた仕事だから、何があっても続けるのが当たり前だ」ということでした。実際、これまでにも様々な困難、浮き沈みがありましたが、皆それを乗り越えて仕事を続けてきました。今回のような地震の後でも「普通に続ける」という意識が職人たちには根付いているのだと思います。

私自身も、地震の翌日には職人たちが「いつから仕事を再開しようか?」と自然に考えているのを見て驚きました。誰も辞めるという選択肢を持っていなかったんです。逆に、私が「彼らには退職の選択肢はないんだな」と初めて気づかされました。

また、地震の後には世界中から応援のメッセージが届き、今も「また輪島塗を作ってほしい」という声がたくさん寄せられています。Instagram の DM などで直接メッセージが届くと、お客様が私たちの商品を大切にしてくださっているのだと励みに感じます。

今回の地震をきっかけに、輪島塗の産地でも、職人さんたちが辞めてしまったというケースが多いと聞きました。御社がそうならなかったのは、どういうことが起因していると思いますか?

私たちの会社に「明るさ」が引き継がれているからだろうと思います。私が8年前に戻ってきた時、会社にはまだベテランの番頭さんや年配の職人が多くおり、それでも会社全体は明るく前向きな雰囲気でした。その楽観的な姿勢が、地震後も変わらず仕事を続ける力になっていると思います。

その「明るさ」の理由は何でしょうか。

職人たちが自分の好きなものを作れる自由な環境が、ポジティブな雰囲気を作っているのだと思います。父や祖父もそうでしたが、私たちは職人たちを信頼し、仕事を任せることで会社を運営してきました。

経営の観点でいうと、信頼しきることには怖い部分もありますよね。納期が遅れたりとか、そういう事はなかったのでしょうか?

もちろん、納期が遅れることもありますが、だからといって私たちがコントロールして防げたかといえば、そうでもないと思っています。おのおのが自由に力量を発揮すると、それぞれが違う方向を向いているようで、実際には全体として、良い方向に向かっているのを感じています。やはり、全員を信頼して任せることが大事だと思います。

同時に僕は、職人たちとのコミュニケーションを意識的に取るようにしています。お客様が喜んでいる時は必ず職人に伝えて、そのフィードバックをモチベーションにしてもらい、これが、彼らの自信や誇りに繋がると信じているんです。

以前は「この会社の雰囲気を変えてやる」と思ったこともあったのですが、それは全員にとって結構なストレスになると気がつきました。良いところは残しながらも、改善すべき点は皆が気がつかないうちにちょこちょこ変えていくというのが大事なんだろうなと思ったんです。

その変えていくところというのは、人を変えるというよりは、仕組みやプロセスを変えていくということでしょうか?

そうしたいですね。ここ5、6年で若い世代の社員も増えてきています。私が戻ってきた当時は60歳以上の職人ばかりでしたが、今では40歳以下の社員が7割から8割を占めています。やっぱり会社の若返りはとても大事ですし、若い人たちの勢いや新しいアイデアも取り入れたいと考えています。

また、若い世代が増えたことに合わせて、従来の紙の書類でのやり取りをなくし、DX(デジタルトランスフォーメーション)を進めています。最初は LINE で雑談するような軽い感じからスタートし、発注もすべてデータで行うように移行しました。

田谷漆器店のモノ

田谷さんは、いわゆるビジネス戦略に頼るというよりも、「輪島塗は素晴らしいものであり、人々にとって価値があるものだ」と強く信じて経営をしていると感じます。このような輪島塗に対する絶対的な信念そのものが、田谷漆器店の方向性を形作っていると言えるでしょうか?

自分の思っていることを言語化するのは難しいのですが、結局はそういう考えだと思います。やっぱり僕は、輪島塗自体の魅力を信じている部分が大きい。

輪島塗も一時期は皆で競い合い、低価格競争に走っていた時代があるんです。また、今でもそうだと思うのですが、輪島塗の会社はどこも同じ値段で汁椀を売らないといけないという感じがこの業界にはありますが、僕は全然そう思っていない。田谷漆器店の商品は、その価格には絶対に見合っていると思っています。職人たちの技術や労力に見合った価格を設定することで、彼らに適正な報酬を渡したいんです。

田谷漆器店のコト

価格に合理性を与えるうえで大事になってくるのが、ブランディングですよね?

はい。ブランディングに関しては、まだまだ課題が多いと感じています。展示会を見てもらえたらわかるのですが、当社には本当に色々な種類の商品があるんです。「これは田谷漆器店だ!」と、見てすぐわかるような統一感はないものの、個々の職人が自由に個性を発揮できるという強みが生まれると思います。

そして、この秋からは、商品の見た目だけでなく、今まであまり手を付けてこなかった部分を少しずつ変え始めています。例えば、ショッパー(買い物袋)をユニークなデザインのものに変更しました。漆という字は、さんずいに木、人、水と書きますが、これは木から採れた樹液を、人の手で塗り、最終的に水と反応し乾くことで完成することを表しています。僕たちのショッパーには、この「木と人と水」が集まって漆器ができるというストーリーが込められています。

商品パッケージも一新し、お客様が手に取った時に「これ、すごいな」と思ってもらえるように工夫をしているんです。単なる取り扱い説明書でなく、読みたくなるようなリーフレットも入れて、開けた時の体験も大事にしてます。

CRAFEAT の外観
田谷漆器店の取り組みのひとつ。石川県金沢市に、伝統工芸で現代和食を楽しめる体験型レストラン「CRAFEAT」をオープン
CRAFEAT の店内
実際に器が買えるショップを併設している

田谷さんのお話を伺っていると、ただ理想を掲げるだけでは周りがついてこないことを理解した上で、相手を見ながら、できるところから丁寧にステップを踏んで改革を実行していくことを大切にしている印象を受けます。

「こうなったらいいのに」という理想はあるものの、そこに一気にたどり着けるパワーは自分にはないと感じています。小さな変化を積み重ねて理想に向かうやり方しか、僕にはないと思っているんです。

輪島塗は、作るのにお金も時間もすごくかかるんですよ。もし売れなかったら、そのまま支払いだけが残ってしまう。やっぱり、僕はこの伝統工芸をビジネスとしてちゃんと成功させたいんです。よい商品だからこそ、ちゃんとお客様に届けて、その価値を還元したいと思っています。

将来的には、職人を育てるための教育プログラムを作ることが目標です。人に教えるには時間がかかるので、以前はその意義を見出すのが難しいと感じていた時期もありました。でも、僕らは自分たちで新しいものを生み出したわけではなく、先祖から続く伝統の中で仕事をし、生活しています。その責任として、次の世代に技術や伝統を引き継ぐことが重要だと考えていますし、そのために、職人が成長できる環境を整えていきたいです。


田谷 昂大(たや たかひろ)

田谷漆器店 代表

輪島塗生産額が過去最高の年である平成3年、田谷昭宏の長男として輪島に生まれる。大学を卒業後、24歳で輪島に帰郷し、田谷漆器店入社。2024年から田谷漆器店代表を務める。

田谷漆器店

江戸時代から寺社仏閣、料亭や旅館で使用される漆器の製作、販売、修理を手がける専門店。その長い歴史と確かな技術が評価され、現在では国宝や重要文化財の修復分野でも依頼を受けている。輪島塗を通じて、日本の伝統文化を守り続けるため、日々尽力している。