私たちマーチャンダイジングチームは、新商品の選定や制作工程の取材をするために、各地のお取引先様を訪問しています。今回は秋田県仙北市角館町、山桜の皮を使う樺細工の産地を訪ねました。

東京から北へ向かう車窓の景色が、街から山並みへと変わっていきます。手つかずの森が続く、深い緑の土地です。桜の皮を使う工芸は、世界でもここにしかありません。

「樺」は山桜のこと。万葉集で山桜を「かには」と表したものが、のちに「かば」に転じたと言われています。

木を切らずに、皮をいただく

樺細工の材料は、山桜の樹皮です。受け継がれてきた手順で剥げば、皮は数年で再生し、木を枯らすことはありません。適した季節に、適した木から、必要な分だけをいただきます。

山桜の樹皮の表面
山桜の樹皮。この皮が、磨かれて艶やかな深い色に変わる

採取は梅雨明け、暑さが本格化する頃から始まります。厚い防具を着て、蒸す森に分け入る。地形図を読み、藪をかき分け、適した木を探して山を上下します。それでも空振りに終わる日があります。近隣の方や木材業者から、どの山がいつ伐採されるかを聞き、山主と交渉して入らせてもらうこともある。伐採予定の木であれば、皮が必要とされない場合もあるからです。

雨の日と、その翌日は採れません。皮が湿ると丸まってしまうためです。倒した木からも採れません。熊に出会う危険もあります。

森の中を歩いて山桜を探す
藪を分けて、適した木を探す
棚に積まれた乾燥中の桜皮
採った皮は二、三年かけて自然乾燥させる

採った皮は、そのまま使えるわけではありません。二年から三年、自然に乾かしてから、ようやく次の工程に進みます。ひとつの品が私たちの手元に届くまでに、どれだけの時間が積まれているか。棚に並ぶ皮の束を見て、その長さを実感しました。

武士の手内職から、町の産業へ

角館に樺細工が伝わったのは江戸時代の中期。佐竹北家の武士・藤村彦六が、秋田県北部の阿仁地方からその技を授かったことが始まりとされます。当時つくられていたのは印籠や薬籠。下級武士の手内職として広まりました。

明治になって職を失った武士たちが、これを本職としたことで、樺細工は町の産業になります。大正から昭和にかけて問屋制度によって全国へ流通し、柳宗悦らの民藝運動のなかで優れた手仕事として紹介されました。1976年には伝統的工芸品に指定され、1978年には角館樺細工伝承館が開館しています。

私たちが訪ねた武家屋敷の一角にも、その伝承館があります。実演を拝見し、産地の歩みを辿ることができました。江戸時代に城下町が形成されて以来、道幅がそのまま残る通りもあり、歴史が息づく町です。桜が有名ですが、訪れた時期は青葉が目にまぶしく、とても美しい情景でした。

文様をつくる ─ 40年の手

工房ではなく、ご自宅の一室で作業をされている職人さんを訪ねました。樺細工に桜の文様を施す仕事を、40年続けてこられた方です。

自宅の作業机で樺細工に文様を施す職人
この道40年。手元だけで仕事が進んでいく

手順を教えていただきました。花と枝のかたちに抜いた材料に糊をつけ、決められた位置に置いて、こてで熱をあてる。温度が高すぎれば焦げてしまうので、加減が肝心です。幹には線を彫って横に走る木肌を表し、花びらには蕊を足して立体感を出す。最後に、はみ出した糊を湯で拭き取ります。

見本を見ずに手が動いていきます。文様は20種類ほどあるそうですが、「何度もつくってきたので、頭に入っている」とのことでした。いちばん難しいのはどこですか、と伺うと、「枝。とくに切るところ」。

ご自身の技術を何点と見ますか、という問いには、「まだ完璧ではないですね。100点とは言えない。85点くらい」。40年続けてなお、そう答えられる。そして最後に、「極めたとは言えないけれど、この仕事が本当に好きです。やっているときが楽しい」と話してくださいました。

桜の文様を彫る手元
花びらに蕊を彫り足していく
貝を切って桜の花びらに見立てた螺鈿の文様
螺鈿を用いたもの。光の角度で色が移り変わる

古い時計の音だけが聞こえる部屋で、時間の経つのを忘れて見入っていました。

型もの ─ 茶筒ができるまで

樺細工でよく知られているのが茶筒です。茶筒をつくる職人さんにも、工程を見せていただきました。

木型に巻いた桜皮を金ゴテで貼り合わせる
温めた木型に皮を巻き、熱したこてでなでる。この工程を胴張りと呼ぶ

茶筒は、内側に三枚、外側に二枚、合わせて五枚の皮を重ねてつくられます。継ぎ目は櫛のような道具で穴を打ち、凹凸をつくって噛み合わせる。糊をつけて一日置き、温めた木型を差し込んで、熱したこてで皮をなでていく。この工程を胴張りと呼びます。熱で糊が溶け、冷えて固まります。

内側にも経木と皮を一枚ずつ重ね、上下に板をあてて、いったん箱のように塞いでしまう。それを身と蓋に切り分け、外側に皮を貼り、内蓋をつくって、最後に磨く。

工房で茶筒を仕上げる職人
紙やすりの音とともに、少しずつ艶が立ってくる

想像していたよりも、ずっと手数の多い仕事でした。「ひとつとして同じものはありません。それぞれに個性があります」と職人さん。紙やすりの静かな音を聞きながら、目の前で艶が生まれていくのを見ていました。

金属の筒のように内部を完全に遮ってしまうのではなく、樹皮が呼吸します。内側の湿度を低く保ち、結露の心配もない。錆びることもありません。海外の展示会で蓋を開けると、茶葉の香りが一気に立ち上がることに驚かれるそうです。

螺鈿の桜が施された樺細工の茶筒

八柳さんの仕事

お世話になっているのは、株式会社八柳さん。1876年(明治9年)の創業で、現在の代表・八柳浩太郎さんで7代目にあたります。職人さんに材料を届け、製品の磨きなどの仕上げを行って、私たちにお届けくださいます。市内には歴史的な佇まいの直営店もあり、今回は新商品の選定もさせていただきました。

乾燥中の桜皮の棚を背に話す八柳浩太郎さん
八柳浩太郎さん。材料の話から製品づくりまで、一日かけて案内してくださった

材料の使い方にも、この産地らしさがあります。茶筒などをつくるときに出る小さな端材は、アクセサリーや土産物として生かされます。長く使われた品の塗り直しや修理も引き受けられていて、樺細工は何十年も使い続けられる工芸です。使われていない土地への山桜の植樹にも取り組まれています。素材を採り、使い切り、また育てる。その循環のなかに仕事があります。

畳の上に並んだ樺細工の皿とトレー
皮を寄せてつくる皿。使うほどに艶が深まっていく

日々手に触れるものは光沢を増し、山桜ならではの艶を保ちます。新品よりも、使い込まれたものが美しい。そういう工芸です。

樺細工のトレーに置かれた酒器
盆として使えば、のせたものの表情まで変わる

東京に戻ってからも、手元の樺細工を見るたびに、秋田の山の空気を思い出します。桜の皮の表情と、手に感じる木のぬくもり。それは関わる多くの人のあたたかさがあってこそだと感じた取材でした。

実際の制作工程を拝見し、お話を伺うことは、私たちの記事や動画制作において、なくてはならない貴重な機会です。いつも温かく迎えてくださる産地の皆様に、心より感謝申し上げます。これからも積極的に取材をさせていただきたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。