熱を帯びたガラスは、思いのほかよく動きます。しなり、伸び、息をするようにかたちを変えていく。けれど冷めれば、その動きはそのまま、ひとつのかたちとして残ります。

ガラス作家の竹岡健輔さんが見つめているのは、この「動いている一瞬」です。作品が探っているのは、秩序と変化、構造と流れのあいだに生まれる、ほんの小さな緊張。編まれているように見えるかたちは、実は、ガラスの線が描いた一続きの動きです。

編み目のような細い線が全体を覆うガラスの花器
Breeze Woven Vase

この記事では、竹岡さんの制作を貫く考え方、「線をたどる」という発想、日本の竹編み細工との対話、そして作品に宿る造形の美しさを見ていきます。

線をたどる

細いガラスの線が幾重にも編み合わされた表面のクローズアップ

溶けたガラスから一本の線が生まれ、少しずつ構造になって、やがて立体になる。その過程そのものが「線の軌跡」として作品にあらわれます

吹きガラスづくりには、ふだんあまり見られない瞬間があります。ガラスがかたちを結ぶ前、竿に息を吹き込むより先に、炉からすっと引き出される、細い一本の糸。光をまとい、宙に浮かんだひと筆のよう。竹岡さんにとって、この線はもう、ひとつの作品です。

花器の口元にかけて編み目が立ち上がっていく様子
Breeze Woven Vase

制作を導くのは、竹岡さんが「線の軌跡」と呼ぶ考え方です。言葉にすればシンプルですが、たどるほど奥に入っていきます。線は、ただの跡ではありません。そこには制作の流れと、一瞬ごとの判断と、素材の抵抗と応答が刻まれている。竹岡さんの手のなかで、一本のガラス棒がひとつの単位になり、格子状の面に組み上げられ、熱と息で立体になっていく。平らだったものが立ち上がり、もう一度炎に戻せば、また平らに崩れていきます。

竹岡さんはもうひとつ、数値にできない質感にも惹かれています。「布のよう」と呼ぶ手ざわりです。落とした布がどう垂れ、どう重なり、どこで引っかかり、端がどうほつれるか。透明で硬く、冷たいほどに精密——そう聞くと、ガラスと布は正反対に思えます。それでも竹岡さんは、ガラスの格子のなかに近いものを感じます。秩序はあるのに硬すぎず、幾何学的なのにどこか柔らかい。透明で、どこか距離のあるこの素材に、竹岡さんが静かに求めているのは、温もりです。

日本の竹編みとの対話

竹岡さんの手もとを見ていると、なぜ「編む」ことが制作の中心にあるのかが分かってきます。動きはリズミカルで、それでいて力加減やタイミング、素材の脆さに合わせて、たえず微調整を重ねていく。ガラスがかたちに落ち着く前から、その手つきにはもう、籠を編むような何かが宿っています。竹岡さんが日本の竹細工に惹かれたのは、いまのガラス技法にたどり着くよりずっと前のことでした。

竹を細く割いて編み上げた竹籠
上の画像はイメージです。

最初に心を掴まれたのは、竹籠の作り方だけではありません。使ううちに姿が変わっていく、その様子でした。竹は年月とともに、深い艶をまといます。手が触れ、空気に触れ、長く使われるなかで育つ表情。日本では、この変化を劣化ではなく、歳月とともに深まる美しさとして愛でてきました。その感覚が、竹岡さんのなかに残り続けます。

竹という素材そのものにも惹かれました。張り、しなやかさ、弾力。しかもそれが、目に見えるかたちであらわれること。編まれた面は、完全には止まりません。わずかにしなり、力を受け止め、応えます。

もちろん、ガラスは、まったく違います。

その質感をガラスに移すには、長い試行錯誤が要りました。ふつうの吹きガラスに比べて、竹岡さんの技法は、ずっと速さを求められます。線がとても細いぶん、炉から出た瞬間から冷え、割れやすくなるからです。

単に時間をかければいいという話ではありません。ガラスは炉から出たら数秒で冷えて、割れてしまう。だからスピードがとても重要になる。その緊張感もまた、この仕事の面白さの一部です

工房の炉の前で、熱を帯びたガラスを扱う竹岡さん

そして竹岡さんは、「編み」シートと呼ばれるガラスの面を作る工程を見せてくれました。長い柄のついた、熊手のような重い道具で溶けたガラスを引っかけ、素早く後ろへ歩きながら、細く長い線に引き伸ばしていく。編めるだけの細さにするには、かなりの距離を歩き続けます。

陽の光の下で、線は透きとおるような輝きを帯びます。弾力をたたえ、流れるように空気を貫いていく。硬く冷たいものと思われがちなこの素材が、その瞬間だけは、思いがけずしなやかに映りました。

細いガラスの棒を手もとで合わせていく
板の上でガラスの線を一本ずつ組み合わせ、面をつくる

続くのは、もっとゆっくりで、緻密な組み立てです。曲線と直線のガラス棒を寄せて、少しずつ組み合わせていく。ひとつひとつの手つきを重ねるうちに、シート状の構造が姿をあらわします。一本一本が隣の線とかみ合い、秩序と柔らかさをあわせ持つ、織物のような面に。仕上がったシートは、電気窯でゆっくり予熱し、張りを保ったまま落ち着かせます。やがて円筒形の吹きガラスに巻きつけられ、すでに制作の記憶を宿した外層になります。

電気窯のなかでゆっくりと予熱されるガラス

竹岡さんは、編むという行為を「すっかり没入した状態」と語ります。思考がリズムに、リズムが手の感覚に溶けていく、集中した反復のなかで、線を組む手つきは、組み立てるというより、ひとつの呼吸に近づいていきます。

工程そのもの以上に印象に残ったのは、竹岡さんの働く姿でした。ずっと集中しているのに、どこか楽しげで、速さも正確さも崩れない。疲れも見せません。ガラスづくりを心から楽しんでいることが、その手つきのすべてから伝わってきました。

それでいて、完成した作品が、その緊張を前に出すことはほとんどありません。むしろ残っているのは、繊細な柔らかさ。表面はところどころ微かにたわみ、流れた跡をとどめています。そこにあらわれるのは、技巧の誇示ではなく、光を受けて幾重にも重なり、空間にそっと佇む、織物のようにしなやかな素材の姿です。

竿の先で、編み目の層をまとったガラスがふくらんでいく

日常の器に宿る造形美

竹岡さんの作品は、器としてきちんと使える機能性を持っています。それでいて強く心に残るのは、器と小さな彫刻のあいだにある存在感です。ただの実用のかたちではなく、置かれた空間と、見た目や感覚のうえで関係を結んでいく。光、影、透明感、そして幾重にも重なる線によって、日常の器が、より深い造形性をまといます。

濃い色の背景に置かれた、編みガラスの花器
Breeze Woven Vase

面、構造、光への意識は、近年の作品でいっそうはっきりしてきました。以前は花器や彫刻的なかたちが多かったのに対し、水指などの新作は、物と空間の関係をさらに押し広げます。内側の吹きガラスの器を、外側のガラス層が包む構造。吹くあいだ、この二つの均衡を保つには、とても細かな温度管理が要ります。外層が柔らかくなりすぎればテクスチャーは溶けて消え、外層が整う前に内側がふくらめば、全体が割れてしまう。そんな危うさと隣り合わせです。

木の蓋をのせた、編みガラスの水指
Sumu Woven Water Container

その結果、作品にはごく微かな緊張が宿ります。吹きガラスならではの軽さと透明感、そこに、織物や生きもののような柔らかさが重なる。木の蓋が、全体に落ち着いた佇まいを添えています。

もっとも、この彫刻的な意識は、見た目だけの話ではありません。竹岡さんはよく、触覚のことを話します。質感や、ふぞろいさや、少し揺らいだ表面が好きだ、と。これらの作品は、ただ眺めるためのものではありません。空間と光と、見る人の感覚のあいだで、移ろい続けるかたちとして在ります。

ガラスの言語をひろげる

熱し、引き、編み、また熱し、吹く。同じ所作が、何度も繰り返されます。年月を重ねるうちに、技法は「素材を思いどおりにする」ことから、「その一瞬ごとの状態を感じ取る」ことへと、少しずつ移っていくようです。そして竹岡さんの関心も、一つひとつの作品のサイズを超えて、外へ広がりはじめています。

炉のなかで熱を帯びて光るガラス

見据えているのは、大きなインスタレーションです。器という親密な言葉を超えて、作品が空間そのものを満たしていくこと。ぽつんと置かれるのではなく、かたちが外へ伸び、重なり、場のなかに広がって、空間全体の空気を変えていく。そんな在り方を思い描いています。

同時に竹岡さんは、自分の仕事が日本のガラス工芸のなかにあることも、深く意識しています。日本のガラスの美しさを語るとき、よく立ち返るのが、色と細部への感覚です。竹岡さんの見るところ、日本のガラスらしさは、華やかさや派手さではなく、静かな洗練にあります。透明度のわずかな移ろい、幾重にも重なる色合い、厚み、質感、仕上げ。その一つひとつへの、細やかな眼差しです。

その感覚は、竹岡さん自身の姿勢とも響き合っています。どれだけ難しい作品でも、技巧を見せびらかすことはほとんどありません。むしろ静かに抑えて、質感と光と構造が、時間のなかでおのずとあらわれるのを待ちます。

竹岡さんの作品では、ガラスが完全に止まることはありません。冷えてかたちになったあとも、表面は動きを語り続けます。編まれた線は揺らぎ、影は幾層もの構造に沈み、質感は、見る人の立つ位置でわずかに変わります。

何より心に残るのは、背後にある技術の複雑さよりも、作品が空間に佇むときの、感覚の細やかさです。編むこと、繰り返すこと、熱、そして息。竹岡さんは、炉の火が消えたあとも、リズムと記憶と温もりを宿し続ける——そんな生きものとしてのガラスに、向き合い続けています。